自己受容
年末年始を実家で過ごしてきました。
父は40代という若さで亡くなりましたが、
母は、80歳を過ぎて、
現在も、台所に立ち続けています。
そんな母と、妹家族が一緒に住んでいて、
いわゆる、マスオさん同居です。
実家は、
私にとって、
【とっても居心地が良くて、
とっても居心地の悪いところ】でした。
実家で、私は、
生きた屍のごとく、
何もしません。
ただ、ただ、ボーっと、
1日を過ごしています。
ケガをした野生動物が、
完全に守られている場所で、
ひたすら眠り続けるように、
何もしません。
母と、妹は、
私の現状を知った上で、
ただ、ただ、休ませてくれます。
(母は、私の現状の100%全ては知りませんが)
実家での私は、
200%役立たずです。
それでも、優しくしてくれます。
「これ、食べるかい?」
「お酒、何のむ?いろいろ用意しといたよ」
もう、それはそれは、
苦しくなるくらいの優しさで。
その優しさに、応えようとして、
生きてきたなぁ…
この人達の、役に立ちたいと思って、
生きてきたなぁ…
なのに、この現実。
それでも、良いのだ。
と、思ってみる。
私は、生きているだけで良いのだ。
私は、そこにいるだけで良いのだ。
なかなか、思えない。
【自分のことを愛する】が、
自己肯定だとしたら。
【自分のことを許す】が、
自己受容なんだろうか。
好きになる前に、まず、許す。
好きになるには、
まだちょっと時間がかかるかな…
でも、許す。
どんな自分も、許す。
そんなことを、ふと思いました。
「何にもしてない役立たずは、
文句(意見)は言ってはいけない」
と、ずっと思っていましたが、
今回は、言ってみました。
「今年のイズシは、どう?」母。
今までなら、
「ちょっとお醤油とか、醤油麹とかつけたら、
美味しいわ」
だったけど、
「甘味が、も少しあったら良いかも」
と、言ってみた。
「私の着物、あなたが着れるように、
仕立て直しておいたから、羽織ってみて」母。
今までなら、
「ありがとう。渋くて素敵。
いくつになっても着られるね。大事にするわ」
だったけど、
「素敵。帯の色好き。
でも、地味だから60歳になってから着るわ。
ありがとう」
と、言ってみた。
「ゆっくり眠れた?寒くなかった?」妹。
今までなら、
「うん。眠れたよー」
だったけど、
「自分ちで、羽毛布団だから、
綿布団で圧死するかと思ったw
寝返りうてなくて、金縛りかと思ったw」
と、言ってみた。
役立たずで、ただ居るだけの人からの
クレームなのに、
母と妹は、なんか、ケラケラ笑っていました。
【ただ、そこにいるだけでいい】
を、体感してきた帰省。
自分を許していないのは、
他でもない自分自身で。
居心地の良さを受け取らず、
こんな自分には、そんな資格はないと、
勝手に自分で、すねて、
勝手に自分を、こじらせて、
勝手に自分を、これでもか、これでもかと、
責め続けて、
勝手に居心地の悪い空間にしていたのも
他でもない自分だった。
まぁ、なんて、めんどくさい人。
そんな私のことも、許す。
役立たずなままで、
たくさんの愛を受け取ってきました。
そんな、2019年のお正月でした。