仮説
仮説。
どんな悲しい出来事も、
どんな残念な出来事も、
全て、自分の深層心理にある【設定】が、
作り出しているとして。
仮説。
どんな悲しい出来事も、
どんな残念な出来事も、
自分に、なんらかのメリットがあるから、
現実の出来事にしているとして。
なぜ、私は、借金をする。
という現実を見ているんだろうか?
このことにより、
どんなメリットが、私にあるから、
この現実を作っているんだろうか?
と、思いました。
いや、表面的にみたら、
だらしなくて、情けなくて、
弱かったからなんだけれども。
表面的な部分は、
そのまま受け入れるとして。
どうしてかな…?
と、思いました。
どんなメリットがあるのかな…?
お金ピンチだから、と、断れること…
彼氏やパートナーよりも稼いだら、
愛されないと思っていたこと…
お金を稼ぐために、忙しくすることで、
本当に目を向けるところから、
目を背けられること…
どれも、ピンとくるような、こないような…
これかなぁ…
【罪人前提】
「こんなに苦しんでいるから、許してください」
誰に許してほしいの?
子どもにかなぁ…
離婚して、ごめん。ってことかなぁ…
やっぱり、これかなぁ…
母の愛情確認が出来ること…
助けて。と言えること…
1番しっくりくるのは、これかな。
と思います。
で、この、
母の愛情確認をしたいということや、
助けて。と言えることは、
自分が、自分に言いたいのだと思います。
【母親】という他者を使っているけれども、
私は、私に言いたいのだと思います。
「ねぇ、私さん、
ワタシ、こういう感じだけれど、
ワタシのこと好き?
どんなワタシも愛してる?」
「しょーがねぇなぁ、とは思うけどね(笑)
大好きだよ、ワタシちゃんのこと。
心から愛してるよ。安心していいよ。
どんなワタシちゃんのことも愛してる。
私が守るから。私が助けるから。」
ずっと、ずっと、ずっと、
自分が嫌いだったから、
自分を好きになりたくて、
たくさん努力して、素敵な私になりたかった。
でも、本当は、
どんな私のことも、大好きだった。
素敵じゃない私のことも、本当は好きだった。
だけど、こんな私を、
好きだなんて思っちゃダメだよ。
ダメなところ、たくさんあるもの。
と、思っていました。
ほら、こんなところもダメ。
あんなところもダメ。
ダメなところばっかり。
このダメなところを克服するまで、
自分のことを、嫌いでいて、
自分をイジメたり、きたえたりしなきゃ。
と、思っていました。
いったい…なんなのでしょう…
この、【自分嫌い劇場】は…
この、【自分罪人劇場】は…
もう、やめよう、この舞台は。
と、思いました。
続く。